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OFFICIAL NOTES

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 さて、どこから話を始めようか。
 果して生まれたばかりの頃の彼女がその家でどんな振る舞いをしていたかなどは、筆者とてまだ聞いたことがない。わかっている範囲で書き進めていくなら、まず彼女......TAKAKOの上には二人の姉がいたということ。つまり新潟のその家庭で、3姉妹が仲良く暮らしていたということだ。それは例えば幼い頃に、よく3人で合唱をしていたという話などから思い浮かべることが出来る(先頃リリースされたVIDEO、及びDVD作品『double』のインタビュー・シーンで、少しだが、珍しくその頃のエピソードが本人の口から語られている)。そして、上が下に影響を及ぼすのも、これ、当然のこと。長女は下の二人......つまりSACHIKOとTAKAKOに様々な面で影響を与えていたということだ。

 音楽面に関しても、もちろんのこと。時が経ち、長女がアメリカに留学し、その当時向こうで流行っていたR&BのCDを日本に持ち帰って聴いていたことで、下の二人も自然にそうした音楽を耳にするようになっていった。つまりはR&Bが自然に家庭で流れているという、その環境作りをしたのが、長女だったわけなのだ。

 ここでより正しく事実を書き足すなら、TAKAKOがR&Bを意識して聴くようになったのは、まずCDからではなく、ビデオ・クリップを多く見て刺激を受けたからだという。頃合いとしては、メアリー・J・ブライジ、TLCが登場し、アン・ヴォーグが2作目でさらなる開花を果たした92年、その前後。
そうしたアーティストたちのビデオ・クリップに影響を受け、気がついたら長女がそのCDを持っていて、家で聴いていた......ということらしい。「ビデオ(・クリップ)を見てなかったら、R&B好きになってたかどうかもわからない」とTAKAKOは筆者に言ったものだが、なるほど、先にも書いたdoubleの映像作品のトータリティと、そこに収められたクリップのクオリティ、その凝りようは、そうしたところから来ていたのだなと、今、改めてそう思う。

 さて、R&Bばかり好んで聴くようになったTAKAKOは、CDを完コピしたりもするようになった。一方、SACHIKOは、クラシック・ピアノを習っていたこともあって、抜群の音感を持っていた。時はまた少し流れ、TAKAKOとSACHIKOはやがて地元新潟のクラブなどで洋楽曲をカバーして歌うようになっていった。二人の実質的な音楽活動の始まりである。

 その後、フォーライフレコードのオーディションによってデビューのきっかけをつかんだ二人は、上京し、まず米軍横田基地内のクラブでレギュラー・ライヴを行うようになった(資料によれば、日本人がパフォーマンスを行うのは27年ぶりとのこと)。それは97年10月から98年2月にかけてのことで、その時代のデモテイクは、後にアルバム『Crystal Planet』(99年12月リリース)で聴けることになる。

 レギュラー・ライブによって力をつけた二人が、doubleとして、いよいよデビューを果たしたのは、98年2月4日。作詞・SACHIKO、作曲・筒美京平による「For me」がその記念すべきデビュー・シングルで、この曲は日本テレビ系連続ドラマ『冷たい月』の挿入歌にもなった。そして間を開けず、5月には同じ作詞・作曲コンビで、2ndシングル「Desire」をリリース。

 二人がものすごいスピードで成長し、何よりメジャー・アーティストとしての自覚を持つようになっていった時期である。また日本のR&B、あるいはヒップホップ界をリードするクリエイターたちが、彼女たちの才能と可能性に注目し、制作に関わるようになっていった時期でもある。「BED」は、double、MAESTRO.T、松尾潔のコラボレーションによって作られ、そのカップリング曲やリミックス・ヴァージョンでは、武藤敬一郎、Mummy D、KOHEIらが関与。「BED」のリリース前後には5大都市クラブ・ツアーも行われ、二人の勢いは加速していった。そして92年2月に12インチ・アナログで、続く3月に4thマキシ・シングルで、あの「Shake」をリリース。「♪とま~らない、このスーパー・シスターズ」 そう歌われるこの極めつけの1曲は、二人のハーモニー、その絡み方、あるいはヒップホップ・ソウル的なスタイルの提示と確立といった様々な面で大いなる飛躍を見せ、このシングルによって彼女たちを評価し始めた評論家も少なくなかったものだった。元よりディレクションを含め、音楽制作に関わる多くの作業に直接手を下していたTAKAKOは、このあたりから徐々に自分の思い描くR&B像をさほどブレることなく音盤化出来るようになっていった。そしてSACHIKOが手掛けていた歌詞の面でも、二人は和歌にヒントを得たことで新たなる突破口を見いだし、筆者が取材したこの頃には、「これから私たちの歌詞は今までとまったく変わります!」と宣言したりもしていたのだった。

 「Shake」のリリースに重なる99年3月から5月1日にかけて、二人は全国8都市クラブ・ツアーも決行し、12インチ・アナログ「Make Me Happy」リリースに続いて、いよいよプロローグ・アルバムと銘打った『Crystal』が完成。その取材も意欲的にこなし、後はその初アルバムのリリースを待つばかりとなっていた。が......。

99年5月21日。SACHIKO、急逝。


 6月に世に出た『Crystal』が大ヒットを記録し、12月には前述した横田基地時代のデモテイクや未発表曲などで構成されたCDにVIDEOをプラスした『Crystal Planet』がリリースされるも、TAKAKOは、しばらくの間、シーンから距離を置くことになったのだった。

 だが、しかし。doubleは終わらなかった。しばらくは音楽を聴くことすら出来なかったというTAKAKOだが、やがて自然に歌を口ずさむようになり、改めて「歌うことが自分の天職なんだ」と痛感した彼女は、一人、doubleの名を引き受けた。時は2000年。TAKAKO=doubleとなり、まずは、かつて「Shake」のリミックスでコラボレーションしていたZEEBRAの2ndアルバム『BASED ON A TRUE STORY』(6月リリース)の「プラチナムデート」にフィーチャリング・シンガーという形で参加。続いて初のソロ・レコーディングをニューヨークで行い、7月には新生doubleのスタートをハッキリと印象づける2作品を同時にリリースして、完全復活を遂げたのだった。その2作品は、"SEXY"をコンセプトにした「handle」と、"HARD"をコンセプトにした「U」。初めて自ら作詞を手掛け、本人の希望からブライアン・アレキサンダー・モーガンにエディFといったプロデューサーとガップリ組んで制作されたその2作品は、いよいよ彼女が少しの妥協もなく、自らのR&Bを徹底的に突き詰めだしたことを感じさせる、そんな出来になっていたのだった。

 その2作品同時リリースと時期を同じくして、彼女はステージにも復帰した。ZEEBRAのツアー全公演にゲスト出演したのだ。
また、10月にリリースされた平井堅のシングル「LOVE OR LUST」にもVoiceで参加。こうした男性アーティストとのコラボレーションによって、新たなるファンを獲得したことも、大いに意味のあることと言えるだろう。

 そんな動きと前後して、彼女はアルバムの制作にも入っていた。そして、2000年11月。マキシ・シングル「Angel」に続き、遂にフル・アルバム『double』をリリース。TAKAKO=doubleとなって初めてのアルバムであり、なるほど『Crystal』をあくまでもプロローグ・アルバムと位置づけていたことにも大いに納得させられる、この真の意味での1stアルバム。おそらくは現段階の日本のR&B作品の中で最高レベルにあると言っていいサウンド・プロダクションとヴォーカルのマッチングもさることながら、「Stay With Me」「Angel」といったバラードの、胸に迫るリリックも実に素晴らしく、まさに傑作と呼ぶに相応しい作品になったのだった。

 そして、この作品が元になり、2001年4月25日、新たなるアイテムが二種、世に出た。アルバム『double』とほぼ同じ時期に並行して作られていた『double』イングリッシュ・ヴァージョン。そして、これは先述したが、「handle」「U」「Angel」のビデオ・クリップに、そのメイキングやインタビュー映像などを交えて構成されたVIDEOとDVD作品『double』である。

 日本が誇る"クイーン・オブ・R&B"。その呼び名が少しも大袈裟じゃないことは、こうした作品群のクオリティによって示されている。そして、この5月からはソロとなって初めての全国クラブ・ツアー"DOUBLE CLUB TOUR 2001"with U"もスタート。そのツアーでライヴ・パフォーマーとしての実力を見せつけた後、今度はいかなる動きを見せてくれるのか。そう、楽しみはまだまだこれからだ。

内本順一



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