アメリカの古参R&Bグループ、アイズリー・ブラザーズは、諸事情でメンバーを失って以来、グループ名はそのままに実質上ロナルド・アイズリーのソロ・アクトへとその姿を変えた。R&Bの世界には、こういうやり方、こういう在り方もある。
DOUBLEもまた99年5月から名前の響きはそのままに、意味合いを変えてしまった。ダブルという名のソロ・アクト。この構造的矛盾はDOUBLEの哀しい過去と力強い回復の物語を示している。ただし、R&Bの流儀で。
ふたりの美しい姉妹と過ごした98年の夏を忘れることはない。その夏、縁あって僕はDOUBLEの「BED」という曲をプロデュースすることになった。共同プロデューサーにマエストロ-Tを迎えて制作は進行した。
最初に会った時からTAKAKOはR&Bへの希求をストレートに表現する女性だった。彼女の姉SACHIKOがあくまで「自分の歌った曲がポップ・ソングとして成立すること」をナチュラルに体現していたのに対し、TAKAKOは自分が歌っていない時でさえも「それがR&Bとして上質かどうか」をストリクトに見極めていた。言い換えれば、絶えずR&Bプロデューサーとしての視点を失わなかった。
今考えれば、コンセプトメイカーの僕、トラックメイカーのマエストロ-Tというふたりのプロデューサーは、そのセンス、手際、所作のそれぞれについてTAKAKOから細かく厳しくチェックを受けていたように思う。誤解をおそれずに言おう。TAKAKOはプロデューサーをプロデュースする。それも徹底的に。彼女には天空を舞い大地を見下ろす鳥の視点があった。
R&Bはスタイルであってファッションではない。そのことに多くの人々は気付いていない。もしくは気付かないふりをしている。R&Bムーブメントが音楽シーンで最もホットな動きと認められて以来、おきまりの過大評価があり、過当競争があった。逆にブームのひと言で片付ける人もいた。そして現在、スタイルとしてのR&Bは厳しい試練の時を迎えている。
日本という特殊なマーケットでR&B性を追求した結果そこに歌謡曲性がにじみ出てきたのか、歌謡曲のフォーマットにファッションとしてのR&B性を加味したのか、この差異は大きい。音は正直である。その差異は意外にストレートに音楽に反映されるものである。誤解のないように言っておくが、両者に貴賎はない。そもそも音楽に貴賎はないのだ。ただそのミュージカル・アティチュード、つまり創作態度には確実に貴賎が存在する。そのことに無自覚なアーティストは淘汰されていく。具体的に言うと、バックボーンのない歌い手がプロデューサーににわか仕込みの音楽知識を与えられたくらいでは、音楽の知恵は身に付かないということだ。
そして2000年末。美しい声でさえずるTAKAKOという鳥は、視線の鋭さの度合いを増した。アルバム『double』で彼女が標榜しているのは、他の何物でもなく、R&B。それ以上でも以下でもない。ただ深度の追求には余念がない。
その美しい声質に惑わされてはいないか。お気を付けられたし。『double』はディープな、それはディープなR&Bアルバムである。
2000年11月
松尾潔(KC MATSUO for Never Too Much Productions)
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